
S.H
看護師
S.H
看護師
重症心身障害児の看護の道を選んだのは、看護師7年目の時でした。当時働いていた病棟は、大学病院の小児循環器と外科の混合病棟で、小児~高齢者まで幅の広い年齢層と周術期から終末期にある患者さんを対象としており、今思い返してもとにかく忙しい病棟でした。忙しさの中にもやりがいがありましたが、中堅時期にもなるとこのままでいいのかな・・とどこか物足りなさを感じるようになり、その後のキャリアをどうしようか考えるようになっていきました。その時に出逢ったのが病棟に入院していた重症心身障害児のお子さんです。障害を持つ子どもに関わる看護がしたい、そう思って重症心身障害児(者)施設のある総合病院に転職をしました。
施設では小児~70代までの利用者さんが生活をしていて、そこで出逢った利用者さんやご家族から一日一日の大切さを学び、関わりの難しさを知り、毎日の生活を支えることへのやりがいを感じるうちに自分がケアをしているようで、実は自分も利用者さんからケアをされていることに気付きます。利用者さんの笑顔、一生懸命な姿、何気ない日常の時間をともに過ごし、一緒に笑い、泣いたり、怒ったりと利用者さんの人生の歩の中に看護師として関われることに喜びを感じるようになっていきます。そして、看護師として医療的ケアを行いながら「その医療的行為はいったい何のためにするのだろうか」ということを考えるようになりました。例えば、よく看護計画であがる「呼吸状態を良くする」という目標に対して、カフアシストなどの排痰機器を使いながらケアをしていくわけですが、利用者さんは呼吸状態を良くするために生きているわけではないのです。呼吸状態が良くなることで、その利用者さんのやりたいこと、願いが叶えられるようであることが本当の目標なのだと思うからです。「それはその利用者さんにとってどのような生活のためなのか」ということをその方のライフステージに合わせた視点から考える必要があります。重症心身障害児(者)の病態は複雑で言語でのやりとりが難しいことが多いです。だからこそ、フィジカルを使いながら、利用者さんの非言語的な表出に対して専門性を生かした観察力で察知していく必要があります。その観察は利用者さんとのコミュニケーション手段の一つであると同時に、生命を守り、生活を守る技術であることを施設での経験を通して私が考えていることです。
そんな私が施設から地域へと踏み出したのは、看護師としてもっとできることがあるのではないかと思うようになったからです。
施設では多職種が連携し、それぞれの役割を果たしながら協働していました。看護師としての私は医療的ケアを行うことに追われていたように思います。レスパイトで来てくれるお子さんが普段どのような生活をしているのか、まったく知らなかったのです。簡単なサマリーでのやりとりはあっても、実際に目にしてみなければその様子は分からない。そんな時に、ハビリスに見学に来ました。そこで目にしたのは、施設にレスパイトで来てくれていたお子さんのいい顔でした。寝たきりだと思っていたお子さんが、ベッドに端坐位になって座り、足湯をしていたのです。「座れるの?」と衝撃を受けたことをはっきりと覚えています。こんなことができるんだ。医療的ケアだけに捉われず、子ども達のいい顔、できるを私も一緒に創っていきたい。そう考えてハビリスに転職を決めました。ハビリスで働くうちに、看護師の役割の概念も変わっていきました。医療的ケアだけを行うのが看護師ではないということです。なぜなら、子ども達にとって医療的ケアは生活を支える一部にすぎないからです。どんなに医療的ケアをしっかり行っても、姿勢が悪ければ子どもの筋緊張は増し、不快であり、良くなることも良くなりません。子ども達が心地よくいられる、表出をしやすくなる、やってみたいと思える、楽しめるためには医療的ケアだけではなく、その子をみて、その子に必要なことをする。そこには職種による線引きはないということを感じています。
ハビリスは子ども達のいい顔、できるに出逢える場所であり、働く私達のできるも創れる場所だと思います。子ども達とそして自分の未来を一緒につくっていきましょう。