
Y.M
看護師
Y.M
看護師
幼少期、私は多くの大人たちに温かく支えられて育ちました。先生や近所の方、両親や祖父母など、困った時には誰かが自分を助けてくれるという安心感がありました。「今度は自分が子どもたちの未来を支える大人になりたい」——そんな思いから、自然と“子どもに関わる仕事”に関心を持つようになりました。
高校生の頃には、学校の先生、小児科の看護師、学校の栄養士など、子どもと関われる職業を調べました。料理が好きだったこともあり、当時は管理栄養士を第一志望に大学受験に臨みましたが、第一希望の大学にはご縁がなく、合格した中で唯一の看護学部だった今の母校に進学しました。今振り返れば、その選択が私の人生を大きく動かした原点だったと思います。入学してすぐに「小児科の看護師になろう」と決めました。
大学時代、重症心身障害児の通う施設でボランティアをする機会がありました。入院中の子どもたちは、ほとんど表情がなく「ただそこにいる」という印象が強かったのですが、地域の一時預かり施設では、同じ寝たきりの障害の子とは思えないくらい、笑ったり、驚いたり、楽しそうにいろんな表出をしていました。
「こんなにも豊かな表情を持っているんだ」「病院の中だけでは見えなかった“その子らしさ”が地域にはあるんだ」——その気づきは、私の看護観に大きな影響を与えました。
卒業後は、小児病棟で勤務し、障害や病気によって生まれてすぐに医療的ケアが必要となった子どもたちと多く出会いました。退院に向けてご家族へ医療的ケアの指導を行い、地域に送り出すのが私たちの役目でしたが、指導を受けるお母さんたちの表情には、いつも大きな不安がありました。
「この子を家で本当に看られるのか」「何かあったとき、誰に頼ればいいのか」——退院後に受けられる支援が極端に少ない現状に、医療者である私自身も戸惑いました。ボランティアをしていた頃に見た“安心して笑い合える日常”は、どこにあるのだろう。自分で調べてみても、医療的ケア児を地域で預かってくれる施設はごくわずかしかありませんでした。
「私も地域に出よう」「子どもたちと家族が安心して暮らせる場所をつくりたい」——そんな思いが芽生えたのは、この病棟での経験からでした。
HABILISとの出会いは、大学の友人のお父さんが、弊社の社長とトライアスロン仲間だったことがきっかけです。「看護師を探している」との話を聞き、少し興味を持ちました。最初にした質問は正直なところ「年収は500万円以上稼げますか?」というものでした。
大学病院で働いていた私は、収入を大きく落とすことなく、なおかつ将来に向けてキャリアアップもしていける環境を探していました。地域の放課後等デイサービスや訪問看護、保育園なども調べましたが、ほとんどが年収300〜400万円台。正直なところ、条件面でも納得できる場所がなかなかありませんでした。
そんな中、「可能です!」と即答してくれた社長に会ってみたいと思い、食事の場を設けてもらいました。実際にお会いしてみると、給与の話だけでなく、「障がいの有無にかかわらず、安心して過ごせる社会をつくりたい」「インクルーシブ保育園のような空間をつくりたい」といったビジョンに心を打たれました。私の想いと重なる部分が多く、「この社長と一緒に、未来を創っていきたい」と思い、入社を決意しました。
HABILISに入社してから、私自身の視点は大きく変わりました。最初は、子どもたちの困りごとが何なのか、どうやって見立てて関わっていけばよいかも分からず、不安の中で関わっていた部分もありました。しかし、経験豊富な理学療法士や看護師の先輩たちに多くを教わり、少しずつ子どもたちの“今”と“未来”を捉えながらケアができるようになってきました。今では見学に来た看護師さんから「PTみたいですね」と言われることもあります。
また、全国的にも少ない「医療的ケア児・重症心身障害児を預かる施設」である私たちの取り組みに誇りを持ち、より多くの子どもたちと家族を支えられる組織を創り、全国に広げていきたいという想いから、入社半年で採用を担当し、2年目には人事担当として会社全体の基盤づくりにも関わるようになりました。給与も100万円以上アップし、私自身の生活も、夜勤のない働き方でも仕事と家庭の両方の豊かさを実現できています。
特に心に残っているのは、寝たきりで寝返りもできない2歳の女の子を、SRC(歩行器)に乗せてビューンとお母さんのもとへ滑らせたときのこと。お母さんは、「“ママー”って駆け寄ってもらうのが夢だったんです」と話してくれました。健常児の子育てでは当たり前のように経験する日常が、彼らにとっては“叶えたい夢”なのだと教えていただいた瞬間でした。私はこれからも、たくさんの夢を家族と一緒に叶えていける支援者でありたいと心から思います。
私は、横浜市のどの区に住んでいても、重症心身障害児や医療的ケア児を育てる家族が安心して日々を過ごせる社会をつくりたいと思っています。そのために、採用・育成を通じて仲間を増やし、組織の基盤を整え、より多くの子どもたちと家族に届けられる支援の輪を広げていきたいです。
同時に、看護師としても現場に立ち続け、子どもたちとともに笑い、泣き、成長しながら、質の高いケアを届けられる存在でありたい。どちらか一方ではなく、「支援する側」と「支える組織の柱」として、これからも挑戦を続けていきます。
子どもが好きで、「自分も力になりたい」と思っているあなたへ。子どもたちと関わるこの仕事は、本当にやりがいのある世界です。一筋縄ではいかないこともたくさんありますが、気づきと学び、発見にあふれた毎日はとても刺激的で、何より楽しいです。
医療的ケア児や重症心身障害児の支援は、今後の日本社会においても、確実に必要とされる分野です。職種や年齢の垣根を越えて、一緒に悩み、一緒に笑い合える仲間がここにはいます。ぜひ、一緒に、子どもたちと家族の“かけがえのない日常”を支えていきましょう!